
現代UFO時代の幕開けとされ、「空飛ぶ円盤(Flying Saucer)」という言葉が生み出された金字塔的なUFO事件。1947年6月24日午後3時ごろ、アイダホ州の実業家で民間パイロットだったケネス・アーノルドが、ワシントン州レーニア山の西側上空を飛行していた。視界は澄み渡り風も穏やか。そんな空を横切るように、鏡のように光を反射する、9機の未知の飛行体が編隊で北から南へ高速で移動するのを目撃する。アーノルドは対地物標との位置関係から時速およそ1,200 マイル(約1,900 km)と試算し、着陸後ただちに地元紙の記者に報告した。
アーノルドが目撃した物体の“本当の形”
「空飛ぶ円盤」という言葉が定着したため、丸い円盤型を想像しがちだが、アーノルド自身のスケッチはむしろ三日月やブーメランに近い“薄い半月形”だった。彼は記者に対し「水切りで皿を跳ねさせたような動きでジグザグに飛んでいた」と“動き”を喩えたに過ぎない。だが見出しに「Flying Saucer(空飛ぶ皿)」と書かれたことで、形まで“円盤”と誤解されたのである。

「空飛ぶ円盤」誕生の舞台裏
ベケット記者が送信したAP電は「Supersonic Flying Saucers Sighted by Idaho Pilot」という見出しで主要各紙に掲載され、6月26~27日には “Flying Saucer” の語が一気に拡散する。後年の調査では、本文には「flying saucer」という語がなく、編集段階で造語され見出しに付け加えられた可能性が高いとされている。いずれにせよ、マスメディアの誤解と拡散力が新語を創出した好例と言えよう。

アイダホの操縦士、超音速の“空飛ぶ皿”を目撃
レーニア山近く、高度1万フィートで時速1,200マイルと推定
ペンドルトン(オレゴン州)6月25日発([?])――
本日、アイダホ州ボイジー出身のパイロット、ケネス・アーノルド氏が、高度1万フィートを「信じられない」速度で飛行する皿状の明るい物体9機を目撃したと報告した。
米国森林局職員で、行方不明機を捜索中だったアーノルド氏によれば、発見時間は午後3時。物体はワシントン州のレーニア山とアダムス山の間を飛び、隊形を保ったり崩したりしながら進んでいたという。
アーノルド氏は自ら計測し、その速度を「時速約1,200マイル(約1,930キロ)」と推定した。
彼が昨夜ヤキマに問い合わせたところ、返ってきたのは怪訝な視線だけだった。しかし本日、ここから南のユカイヤ出身という匿名の男性が、前日ユカイヤ近くの山々の上空で同様の物体を見たと語ったという。
「あり得ないようだが、事実はそこにある」――アーノルド氏はそう述べている。
“円盤”は今も飛び続ける
たった一人の山岳飛行中の目撃談が、メディアの誤訳によって「空飛ぶ円盤」という21世紀まで残る呼称を生み、同時にUFO論争という終わりなき物語の入り口となった。秘密兵器、宇宙人の乗り物、さらには未確認生命体――仮説が移ろうたびに私たちは“未知”への想像力をアップデートしてきた。80年近くたった今も、空に謎を見つけるたびに世界は少しだけ騒がしく、そして少しだけワクワクするのである。
正体は何だったのか? 三つの主要仮説の変遷
- 秘密兵器説――冷戦初期の不安の投影
事件当時は第二次世界大戦終結からまだ2年。米国世論は「ソ連や米海軍の極秘実験機ではないか」と推測した。実際、1946年の “ゴーストロケット騒動” でも同様の “ソ連製兵器説” が語られており、未確認飛行物体を敵国の秘密兵器と見るのは自然な帰結だった。 - 外宇宙飛来説――エクストラテレストリアル・ハイポセシス(ETH)の台頭
1948年に米空軍が始めた「プロジェクト・サイン」は、一部の解析官が “惑星間航法能力を持つ乗り物” との報告書をまとめるなど、軍内部にもETH支持者が存在した。1950年代にはドナルド・キーホーの著書『Flying Saucers from Outer Space』がベストセラーとなり、「円盤=宇宙からの訪問者」というイメージが一般にも定着していく。 - UFO生物説――“空を泳ぐ生命体”という異端の視点
一方で「UFOは機械ではなく高層大気に棲む巨大生物では」とする“UFO生物説”も現れる。ジョン・P・ベッサーは、ケネス・アーノルド事件の物体が、空に生息する生物ではないかと考え、その考えを空軍に伝えている。これに対し軍の広報担当が「これまで軍に提出された多数のレポート中でもっとも説得力をもつものの一つ」と評価している点は興味深い。さらに興味深いのは、アーノルド自身も1955年ごろから「空のクラゲのような生物かもしれない」と発言していたことである。