エミルシン事件――“ポーランドのロズウェル事件”

By日曜版 編集部

2025年7月25日

 1978年5月10日の朝、ポーランド・ルブリン県エミルシン村で71歳の農夫ヤン・ヴォルスキ氏が荷馬車で帰宅していると、黒い宇宙服のような服装をした背の低い二体の人物が現れた。彼らは鋭い「キーン」という高音で意思を伝えてきたため、困惑したヴォルスキ氏はその人物たちについて約300メートル進んだ。すると地上4〜5メートル上空に銀色の飛行物体が静かに浮かんでいるのを発見した。その飛行物体の底部から小型のエレベーターのような足場が降下し、一人の宇宙人が現れてヴォルスキ氏を手招きして内部へと招待した。恐怖と好奇心が入り混じる中、彼がその足場に乗り込むと飛行物体の内部に運ばれ、そこで何らかの検査を受けたという。この出来事は後に「エミルシン村UFO事件」として知られるようになり、“ポーランドのロズウェル事件”として記録されている。

ヤン・ヴォルスキの証言詳細

 ヴォルスキは後年、自らの遭遇体験を繰り返し語っている。彼によれば、最初に接触した宇宙人は身長約150センチほどの小柄な体格で、緑色の肌と切れ長の目を持ち、指に泳ぐような膜がある――「緑色の顔をした連中は、まるでモンスターのようだった」と表現している。彼らは人間の言語を話さず、身振りや甲高い発声で意思を伝えたため、ヴォルスキにはまったく理解できなかった。外見が中国人のようにも見えたことから、「中国人ではないかと思った」とも回想している。

 やがて三人(宇宙人二体とヴォルスキ)は牧草地に到着し、バスの半分ほどの大きさの銀色の飛行物体を目の当たりにした。飛行体は四隅に回転する小型ローターがついており、下部には4本の紐で吊られた小型プラットフォーム(エレベーター)がぶら下がっていた。宇宙人たちはジェスチャーでプラットフォームに乗るよう促し、彼は怖がることなく招待に応じた。

 搭乗後の内部空間では、最初にさらに二体の同種の宇宙人と、木枠に並べられた数羽のカササギやワタリガラスを目にした。その後、宇宙人たちは手まねでヴォルスキに服を脱ぐよう合図し、彼は全裸になった。宇宙人たちはその肉体を円盤状の小器具で手短に検査した後、着衣に戻すよう指示した。さらに、彼らは軽食としてクロワッサンのような菓子を勧めたが、ヴォルスキは丁寧に断った。最後にヴォルスキは帽子を脱いで「さようなら」と挨拶し、宇宙人たちも礼儀正しく敬礼して見送った。接触時間は数分間とされている。

調査および報道

 遭遇後、ヴォルスキは帰宅して家族に体験を語り、近隣住民とともに飛行物体着陸地点に足跡などが残されていないか調査した。村人たちはヴォルスキの人柄を信頼し、彼の話に疑いを持たなかったという。さらに同日、6歳の少年アダム・ポピオウクが同様の飛行体を見たと語り、これが第二の目撃証言とされた。
 当局も調査に乗り出した。地元警察の巡査部長は現地検証を行い、ヴォルスキから事情聴取を行ったが、報告書では「被害者は夢を見ただけ」と結論付けられた。一方、精神鑑定を受け、精神科医はヴォルスキがその物語を作り上げたのではないと判断している。1978年には事件のドキュメンタリー映画『訪問:謎の入り口』(Odwiedziny, czyli u progu tajemnicy)が制作公開された。また、当時を取材した国営ラジオ局がヴォルスキの証言を録音し、「宇宙の淵の草地(Łąka na skraju wszechświata)」という報告番組を放送している。

証言の信憑性と異論

 この事件は「ポーランドのロズウェル」とも呼ばれ、長らくUFO研究界で議論が続いた。精神科医の検証結果から「ヴォルスキ氏は真実を語っている、少なくとも本人は自分の話を信じている」と説明し、6歳の少年の証言も得られたと主張した。一方で、公式調査には懐疑的な見解もある。1978年の報告書では「夢を見ただけ」とされており、後年の分析では事情に対する別解釈が提唱されている。2012年にはジャーナリストのバルトシュ・ルドゥトフスキが著書『秘密作戦:社会主義時代のUFO』でこの事件を詳細に再検証し、「全体が捏造であり、精神科医がヴォルスキ氏を催眠にかけて偽の記憶を植え付けた」という仮説を提示した。この説には賛否両論あり、ユーフォロジー界からは批判の声も上がっている。現在では当時の一次証言をもとにした報告や検証資料が研究者の間で共有されているが、確たる結論には至っていない。

エミルチン事件のモニュメント